末盧の「もの」がたり

『末盧の「もの」がたり』第53話 

明治の考古学-瓦-②

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軒先に飾る文様の付いた瓦の話をしましたが、本瓦葺(ほんかわらぶき)で使う瓦には、軒丸瓦と軒丸瓦とがあります。前回お話ししましたように、瓦の普及は、戦国時代の城郭造成にあり、その核となったのは織田信長だったといわれます。石垣と瓦葺の城郭の構築は象徴的には、安土城の金箔瓦に集約されますが、その起源説は最近ではもう少し遡り、細川藤孝が築城した京都長岡京市の(しょう)龍寺(りゅうじ)(じょう)にすでに、織豊系城郭における瓦葺の出現を見る見方もあります。

とにも、奈良の造瓦集団の取り込みがそこにあったといわれています。金箔瓦の利用を威勢行為に積極的に活用したのは豊臣秀吉であり、その普及の現場が、唐津市の名護屋城並びに陣跡であったことは知る人ぞ知る事実です。名護屋城は、まさに、中世城郭が近世城郭へと変貌する契機となった場所なのです。それは、城郭遺構だけではなく、瓦製作技術のみならず、様々な技術文化の拡散の場所になりました。その意味で、名護屋城の瓦の種類の多さはその出自の多様性と変容性の高さとともに瓦製作に取り組んだ技術者の多さも示しています。つまり、各地から多くの技術者が集められたと考えられます。 

軒丸瓦の文様は、中世期以来、巴文様が流行しその変容が小さく変化をとらえにくいので、軒平瓦の文様で分類すると、奈良時代に普及した忍冬唐草文様からの変化とみられる唐草文を主体に、中央文様が三葉文もしくは五葉文や桐文等があり、それに菊文等が加わり、それ等の文様が主体となって展開したようです。

名護屋城域の膨大な建物建設が終焉し近世江戸時代が始まると、唐津における城郭建設や近世の城下町建設の中で瓦の利用は、一定の需要に落ち着くとともに文様の安定化ももたらしたようです。無論、そのことは、各地域でも同じことで、近世領国体制の成立による各領国の経済圏の中での需給関係が確立するとともに、文様は地域ごとの流行となっていったようです。唐津域における文様の一定化もそのことを示すかのように、限られた文様が使われています。

瓦は100年以上の耐久性のある物であり、建物が立て替えられ瓦が新しく吹き替えられる時にしか新しい瓦は使われません。しかも、耐久性は再利用という要件も付け足して、区切りよく変えられていくものではありません。それだけに、時代を越えて存在するため、考古学では時代を決める定規としては難しいものと言わざるを得ません。

現に、江戸期の瓦が古い建物の屋根に乗っている例を唐津市内でも見ることがあります。北城内に残されている市指定重要文化財「旧唐津藩藩校中門」では、歴代の江戸の瓦(本瓦葺)を見ることができます。(図1) 無論、日本には1000年以上前の奈良時代の瓦が乗っている屋根のお寺があるのですから、驚くにはあたりません。

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(図1) (写真) 市指定重要文化財「旧唐津藩藩校中門」

そこで年代が比較的絞られる建物や遺構からの出土瓦、例えば、17世紀中頃の寺澤時代の城郭遺構、土井時代の墓園瓦、鏡神社等の明和年代の建築遺構出土の瓦等は、時代の決め手になります。それらを比較検討して、大きな軒平瓦文様の流れを知ることが出来ました。

さて、問題の近代の瓦はどのように位置づけられるのでしょうか。三葉、五葉文様は、一部で墓石などに利用される蓮華文様に変化します。これは、江戸期の檀家制度での仏教との親密性がその趣向に影響を与えたものかもしれません。

一方で、桐文や菊文の中心文様は根強く意匠として継承されていったようです。桟瓦が普及したことで、従来の軒丸瓦の文様は僅かに化粧瓦や棟瓦に残り、菊文や凸面素文の小振りの丸瓦を付けた桟瓦独特の軒平瓦(一般に(まん)十軒(じゅうのき)(がわら)とも呼ばれる)も見られます。明治20年代後半の旧大島家住宅母屋等、明治37年以降の旧高取家母屋、大広間棟等にみられる瓦文様群は、そうした傾向とともに新たな一面も示していました。それは、軒平文様の喪失という簡素化でありました。本来文様のある部分の枠は洒落た花頭風の飾り窓にして、その中は無紋にするというものでした。(図2) それは、近代という時代を示すものだったのでしょうか。それとも、限られた人々に好まれた文様だったのでしょうか。(続く)

(図2) 唐津における近代瓦の系譜図(田島 2013)より

Profile

田島龍太(たじまりゅうた)

明治大学政治経済学部卒業

佐賀県教育委員会文化課を経て、唐津市役所に勤務

退職後、唐津市末盧館館長兼唐津城館長に就任。(現在は退任)

「菜畑遺跡「久里双水古墳」など唐津地域の埋蔵文化財の発掘調査、曳山や建造物等多くの文化財の保存保護に従事する。