末盧の「もの」がたり

『末盧の「もの」がたり』第45話

古代人は何を着ていたか⑪
ー布となった糸ー

糸の話から布の話に進めていきたいのですが、絹についてのいくつかの挿話を加えておきましょう。絹の生産には、古くから女性の強いかかわりが取りざたされています。糸から布の生産に労働力として、女性が深くかかわっていくことに起因するものと考えられます。また、クワコか家蚕への家畜化には、中国古代の伝説の帝王、黄帝の正妃嫘祖(れいそ)が初めてカイコの屋内飼育を発見し、その普及に努めたという話があります。(図1)

『史記五帝本紀』等の中国の伝説にあるものです。絹の生産は中国の国家にとって独占的交易品であり、その生産にかかる技術は秘密主義で守られ、門外不出のものでした。

つまり、養蚕法は無論のこと、桑種子や蚕種を国外に持ち出すことは、厳禁されていたのです。次のような話が生まれるのも、その証拠と言えます。1~2世紀の頃、「中国の一君子の娘が、西域の于闐(うてん)国王(現在の新彊ウイグル自治区辺)のもとに嫁すにあたり、蚕桑(さんそう)の種を持参するようにとの于闐国王の要望に応えるために、帽絮(ぼうじょ)(綿帽子)の綿の中にそれらの種を隠して、関所を通り抜けて成功した」という。養蚕の西への伝播の最初の話です。

その後、6世紀中頃に、この于闐(ホータン)からビザンティン帝国に、竹の杖に蚕の卵を隠して伝えられたといいます。その結果、中世期にビザンティン帝国の絹産業は大いに栄え、13世紀になってようやく、後にヨーロッパの絹産業の中心地となるフランスに伝えられたということです。

日本(倭国)への伝播が、弥生時代中期前半頃、紀元前後だとするととても古いことになりますね。面白い話です。もう一つ、誤解のないように伝えておきますが、その古い例の一つで何度かこの稿でも扱っています吉野ヶ里遺跡の絹製品にまつわることを書いておきます。吉野ヶ里遺跡の甕棺墓SJ1002(考古学独特の名称で分かりにくいのですが、あの墳丘墓の柄飾のある銅剣の出土した甕棺)の織物片、約30点と甕棺墓SJ0135(墳丘墓の南西側にある後期初頭の甕棺)のイモガイ製腕輪に付着していた33点の織物片を観察した布目順郎先生は、前者で絹3種類と、麻1種類、後者で絹7種類、麻2種類を確認されています。

これらの絹繊維のほとんどが透目(すきめ)の平絹(ひらきぬ)であり、織りの密度からも、日本で生産されたものであろうと推測されていることは既に触れました。布目先生は、この絹繊維の織物は、わざわざ目の透いた絹で製作された死者に着せる帷子(かたびら)ではなかったかと説明されています。

当時、死者は死後、埋葬までの間、しばらく殯(もがり)の期間が設けられました。その間に屍体を覆ったものではないかというのです。但し、何れの絹も数種類が存在することから、一方では、一種類は帷子だとしても、その他は、被葬者が日常に愛用した衣類かもしれないとも言及されています。その理由が、繊維に残された染料の色からでした。

染料と言えば、現在の吉野ケ里の歴史公園の目玉として、「紅花」栽培がされているので、ベニバナが思いつきますが、甕棺の絹繊維を染めていたのは、日本茜(にほんあかね)と貝紫(かいむらさき)でした。日本茜はアカネ科アカネ属の蔓性植物で、中国、朝鮮半島、台湾、日本に分布し、日本では、本州、四国、九州に分布しています。根が乾燥すると赤黄色から橙色になり、草木染、茜染(あかねぞめ)の原料になり、また、薬草にも使われました。名前は、まさに赤い根という意味です。古代から茜染と呼ばれる赤系色の代表的な染料でした。(図2)

一方、貝紫は、アッキガイ科の巻貝の鰓下腺(さいかせん)(バーブル腺)から得られるプルプラという分泌液が太陽光線などの紫外線の化学変化で黄色から紫に変色することを利用した染料です。澄んだ紫色となり、ヨーロッパでは、フェニキュア紫とも呼ばれ、帝王紫とも称される高貴な色として染物に使われました。日本では、同じアッキガイ科のアカニシやイボニシが使われたといわれています。(図3)

しかし、一つの貝から微量しか取れず、そのため膨大な数の貝が必要となることから、植物 紫草(むらさきくさ)の根、紫根(しこん)が多用されました。聖徳太子の冠位十二階の最高位の濃い紫も、紫根の色でした。いずれにしても、ベニバナは、いまのところ吉野ヶ里遺跡とは、全く関係ないことになります。この原稿のため、調査主任であった七田忠昭氏にも確認したところ、ベニバナの出土はないということでした。紛らわしいことです。(続く)

Profile

田島龍太(たじまりゅうた)

明治大学政治経済学部卒業

佐賀県教育委員会文化課を経て、唐津市役所に勤務

退職後、唐津市末盧館館長兼唐津城館長に着任。(現在は退任)

「菜畑遺跡「久里双水古墳」など唐津地域の埋蔵文化財の発掘調査、曳山や建造物等多くの文化財の保存保護に従事する。

この記事はからっちゅ!2020年7月号掲載の『末盧の「もの」がたり』をWeb用に再編集したものです。