末盧の「もの」がたり

『末盧の「もの」がたり』第44話

古代人は何を着ていたか⑩
ー布となった糸ー

絹の生産技術の伝播と広がりについては、布目順郎氏の著書「絹の東伝」等に示されていることは先述しましたが、その順序は、絹という布そのものの伝播、そして、その生産技術の伝播、つまりは蚕という飼育されたカイコガの伝播という事でしょう。最も古い絹の出土例は、弥生時代前期後半の甕棺(かめかん)出土の青銅器への付着布と書きました。これは、布そのものの伝播と思われます。ところが、吉野ヶ里遺跡の出土絹は、中国漢代の絹より目が粗く、日本製、つまり国産品であろうとされています。そのことの意味は、前回記述しました。

顕微鏡で見てみると、糸の断面の太さは前二、三世紀のものは比較的大きく、華中絹(かちゅうきぬ)に近く、前一世紀のものは小さくて楽浪絹(らくろうきぬ)に近いものであるといわれています。つまり、日本へは華中系の四眠蚕(よんみんかいこ)が最初にもたらされ、その後に楽浪系の三眠蚕(さんみんかいこ)が持ち込まれたと考えられるといわれています。「眠(みん)」とは、幼虫が脱皮をするために静止する状態を呼び、蚕では活動が止まり、糸を少し吐いて、体を固着してあたかも眠ったようにみえることから名づけられています。幼虫が何回脱皮する性質のものかということです。

蚕等の絹糸虫(けんしちゅう)類の繭(まゆ)を作るために吐き出された糸を、電子顕微鏡で観察すると、断面形は蛤(はまぐり)の貝殻のように角の取れた不等辺三角形をなし、断面積などの属性によって、蚕品種、飼育法、飼育環境等の違いが確認されるといいます。日本に伝播した絹糸の蚕がどこにいたものかを知る手掛かりはこうして確認されるのです。(図1)

繭から取り出された糸は、生糸(きいと)と呼ばれます。顕微鏡下では、二種類のタンパク質で構成されている形態が分かります。中心にあるのは、二本のフィブリノゲン繊維と呼ぶ細いフィブリノゲンの集合体で、その周りをセリシンと呼ぶタンパク質でカバーされています。生糸はやや硬く、光沢はあまり見えませんが、セリシンが取り除かれると(これを精錬(せいれん)と言いますが)柔らかな光沢のある絹糸に変わります。(図2)

最近、昆虫の吐き出す糸の事を研究している奈良県立医科大学名誉教授の大崎茂芳氏の本を読んで感動しました。
少し、わき道に入ってみましょう。

大崎先生は実は、クモの糸の研究者で、合成繊維に代わる天然繊維の将来を期待している方です。クモの糸というと、皆さんは、円網と呼ばれる放射状の糸を連想されるかと思いますが、クモの糸はこの網の放射線状の縦糸と渦巻き状にめぐるべとべとの粘着性のある横糸からなっていて、問題の糸は懸垂糸(けんすいいと)(牽引糸(けんいんいと))と言って、クモが自分でぶら下がっている糸の事を言います。

先生はクモの糸は「柔らかくて強いという両方の性質を兼ね備えた」もので、合成繊維であるナイロンやポリエステルなどの物質より柔らかいにもかかわらず、破断応力や弾性率がそれらの物質より大きいという性質を持っているのです。これが実用されるとまさに、スパイダーマンの登場となります。このクモの糸を電子顕微鏡で見てみると、なんと、二本の細長い繊維(フィラメント)からなっていることが分かったのです。しかも、その強さは、簡単に言うとクモの重さの二倍の強さを持っているというのです。ミノムシやダニなどの多くの糸を吐く、昆虫の糸を調べた大崎先生は、ほとんどの糸が二本のフィラメントからなるもので、しかも、その強さは、一本でその虫の二倍の重さに耐える安全性を保っているということを発見します。(図3)

私の好きな格言に「すべての答えは偉大なる自然の中にある」という言葉がありますが、自然にある最高の繊維であるクモの糸を、まだ人類は人工で生み出すことが出来ません。最新の遺伝子工学の跳躍的進歩によって、人が自由に操れる柔らかで強い繊維が作られる日を期待しましょう。さて、クモの糸はこのくらいにして、興味のある人は本を読んでみてください。絹の糸の構造の二本フィラメントも虫の吐く糸の典型なのです。長い話の大きな回り道をしました。(続く)

Profile

田島龍太(たじまりゅうた)

明治大学政治経済学部卒業

佐賀県教育委員会文化課を経て、唐津市役所に勤務

退職後、唐津市末盧館館長兼唐津城館長に着任。(現在は退任)

「菜畑遺跡「久里双水古墳」など唐津地域の埋蔵文化財の発掘調査、曳山や建造物等多くの文化財の保存保護に従事する。

この記事はからっちゅ!2020年6月号掲載の『末盧の「もの」がたり』をWeb用に再編集したものです。