末盧の「もの」がたり

『末盧の「もの」がたり』第48話

古代人は何を着ていたか⑭
ー布となった糸ー

この稿の最後のまとめの前に、もう一つだけお話しておきたいものがあります。古代の織物の中で、自然の植物繊維を利用した織物が唐津地方にもあり、しかも、近現代、戦前まで織られていたのです。それは、「もじ織」と呼ぶ、葛の茎の中皮(靭皮じんぴ)を素材とする織物で、唐津の西部の佐志川流域の唐房湾に面する、佐志地区で織られていた「葛布」のことを言います。この地方ではこの葛布を「もじ織」と呼びました。

くず
植物学者、牧野富太郎まきのとみたろう
『植物圖鑑』には、

「山野ニ生ズル強壮ナル多年生纒繞藤本てんにょうとうほんニシテ、・・其藤茎ハ著シク長ク成長シ或ハ樹ニ攀デ或ハ地ニ這イ盛ンニ繁茂はんもス。」

と特性を説明し、

「根ハ肥大ニシテ薬用トシ又葛粉ヲ製ス、又茎皮ニテ葛布ヲ織リ、葉ハ牛馬ノ飼料トス。和名くずハくずかずらノ略ト謂フ、又くずハ大和ノ國栖くずニ基因(きいん)シ・・」

と呼称の所以も記しています。唐津・東松浦地方ではクズをカンネカズラと呼び、クズの根をカンネといいます。この呼称は、「佐賀の植物方言と民俗」によれば、伊万里、武雄、東松浦上場地域、七山、富士町に広がり、有田や三瀬、大和ではカンネといい、また、多久や太良、鹿島、嬉野ではカイバ、カイバカズラ、カイバクサと言いました。使われる目的によって呼称が決まったようです。因みに、韓国語ではクズは「カル」といい、葛布は「カルポジー」と言います。私見ですが、カンネはこのカルノネの訛りかもしれませんね。 

この「佐志のもじ織」については、学術的な記録報告はありませんが、郷土史家、原口泱泰(はらぐちひろやす)氏等によって「もじ織」の紹介との調査記録の概要が郷土史誌『末盧國』に僅かに残されています。唯一、まとまった記録として、この織物について、精力的に調査を行い記録した報告が書籍として残されています。

それは、唐津歴史民俗資料館の元館長であった後藤為義ごとうためよし氏の著作「西日本織物の民俗誌」であり、「佐志のもじ織」の現在残された貴重な文献となっています。

まずは、「佐志のもじ織」について、この原口氏と後藤氏の記録を基にご紹介しましょう。

原口氏の報告は、もじ織りに氏が関わった経緯が説明されていて、その始まりは、昭和43年(1964)に、日本工芸館小石原分館館長の高田一夫氏にもじ織り調査の案内をしたことから、この織物の価値を知ったということが記されています。

高田氏はプロレタリア版画家として活躍された方で、民芸活動を実践し、その発掘と普及に努め、佐志のもじ織りの調査は、その活動の一環であったと考えられます。後に、高田氏は『日本の民芸』昭和43年10月号にその調査の報告を行っています。

その中には

「日本の原始織物として、これまで北海道のアイヌ織り、山形地方のシナの樹皮から織るシナ布、滋賀・京都地方の藤の繊維で織るフジ布の三種類しか知らなかったが、・・・・モジ織りという四種類目の原始織物があったことがわかった。」

と高く評価されています。また、もう一つ、高田氏の調査のきっかけになったと思われる冊子があります。それは、福岡日日新聞社に勤め、日本民芸協会理事で、福岡県民芸協会長であった野間吉夫氏の著作『佐志の葛布』(私家版)で、昭和40年(1965)に限定百部で発刊されたものです。先の後藤氏の著作では、野間氏の原稿がほぼ総て再録されていて、貴重な内容になっています。それによると、野間氏の調査は昭和36~37年(1961~62)頃のことで、それでも、シキノを織れる人は4人ほどしか残っていない状態であったことが分かります。この時に、聞き書きに応えた四人の一人、宮崎マセさん(当時75)が、後の昭和58年のもじ織り復元に貢献された人物です。

マセさんの話では、

「佐志では葛績くずうみは、七つ八つからで、十八頃から機織りをした。」

「嫁入りするときにはシキノ織りをできないものはいない。」
また、
芋桶おごけを持って嫁入りした。」
「モジ織りは、魚の網にするため需要が多かった。それで、家を建てた女もいた。」
「シキノはタテ糸もヨコ糸もカンネカズラを使った。」、
「カンネカズラは後ろの山にいくらでもあったが、今は上場(後川内、山道、田代等の集落)の人が使い銭稼ぎで取ってくる。」、
「カンネカズラは七月~九月の頃がよいものが取れて、一番は夏の土用の間のもの。」、
「地にはっているものが良くで、立ち上がって巻いているものは良くない。」
等の後で、その素材の作成方法から織りに至るまでを克明に説明しています。(続く)

Profile

田島龍太(たじまりゅうた)

明治大学政治経済学部卒業

佐賀県教育委員会文化課を経て、唐津市役所に勤務

退職後、唐津市末盧館館長兼唐津城館長に着任。(現在は退任)

「菜畑遺跡「久里双水古墳」など唐津地域の埋蔵文化財の発掘調査、曳山や建造物等多くの文化財の保存保護に従事する。

この記事はからっちゅ!2020年10月号掲載の『末盧の「もの」がたり』をWeb用に再編集したものです。