末盧の「もの」がたり

『末盧の「もの」がたり』第39話

古代人は何を着ていたか⑤
ー布となった糸ー

さて、では植物素材の糸はどのようにしてつくりだされるのでしょうか。
そして、糸はどのように布となっていくのでしょうか。大麻(苧麻からむしも含む)の場合を見てみましょう。

先の永原慶二氏の『新・木綿以前のこと』では、原材料から布になっていく工程を説明しています。それには、まずは自生の植物を栽培化することから始まり、その栽培と収穫の工程が綴られています。

大きく大麻としましたが、植物としての科の異なる大麻あさ苧麻からむしでは違いがあります。大麻は毎年種子を蒔いて育てるもので、『会津農書』という江戸時代の書物には、

「麻ノ作様、山畑、里畑共ニ麻蒔畑ハ二毛取也。春ニマキテ其跡ニ菜ヲ蒔ク也」

また、

「麻ハ嵐ノ当ル所ヨシ、故ニ山畑ノ麻ヨシ」

と寒冷地が栽培に適していたようです。一方、苧麻は種子を蒔かず、宿根しゅくこんで育てるものでした。

「苧ノ作様、山畑里山共ニ。…春ニ成リ、カラムシ七、八寸余ニ生ヘ登タル時ニ、…干テ焼クベシ。」

と初めの芽は焼いて、二度目に芽生えたものを育て、六月土用(現在の七月末~八月初旬)に刈り取りました。苧麻は風に倒れたり、擦れ合って傷がつきやすいので、次第に山畑ではなく、屋敷廻りの庭畠に植えられ管理されるようになっていきます。これが「在家苧ざいけお」と呼ぶもので、平安時代以降の古文書に数多く登場します。

苧麻の収穫の工程は、刈り取り後すぐに葉を取り、茎を1.5m前後に揃えて、 本で一束とし、水に二、三時間漬けます。そのあと茎心くきしんから皮を剥がし、皮は直ちに束ねて水洗い、苧引きにそなえます。皮を剥ぎ終わった茎心は乾燥させると苧殻おがらというお盆の迎え火や送り火に使うものになります。(こちらでは、麻殻あさがらと言いますが、麻も苧麻も同じように使われました。)

苧引おひきとは、茎心から剥いだ皮の表面の被皮を除いて、繊維を取り出す作業のことです。皮を作業台におき、木製小形の削り具で被皮をそぎ取り、透き通った青味の光沢のある繊維だけにします。こうして作られたものを「青苧あおそ」と呼びます。この青苧作りは、刈り入れと一貫した作業であり、栽培地で行われるものでした。青苧は陰干しして100匁、一束として出荷されました。これをあつかう商人を麻商人と呼びました。

語句が、混乱してきますので、少し整理すると、「麻商人」という場合の麻は、実は多くの場合、この「青苧」のことでした。苧麻をんだ糸で織った麻布は「布」と呼ばれました。また、苧麻を績んだ糸は「麻」とは言わないので、この青苧こそが麻商人があつかう中間商品として各地にもたらされたのです。室町末期の『七十一番歌合』に、「苧売り」と「白布売り」が対比して描かれていることもこれを示すものです。この青苧が次には、苧績おうみという作業によって糸にされていきます。この作業は、まず青苧を一茎ごとにバラして、湯で煮てやわらかくして広げ、爪を使って細かく裂き割り、指で撚り、繊維が乾いてくると口でふくんで湿しながら繊維をつないで糸にするものです。できた糸は「苧桶うぼけ」に入れます。一般に、糸を作る作業をこのように「む」と言いますが、「つむぐ」とも言います。木綿糸の場合は「紡ぐ」の方が使われます。繭から生糸を作る場合も「紡ぐ」と言いますが、別に「く」という言葉も使われます。素材に応じた作業の表現がそこにあります。生糸は一つの繭から糸をひき出す行為なので「挽く」。苧麻は1.5mと長い繊維なので「績む」、木綿は2~3cmと短い繊維を繋ぐので「紡ぐ」と使い分けていたようです。面白いですね。

苧麻は木綿と違って、糸車で糸をひき出すことができない、能率の悪い、とても根気のいる仕事でした。こうしてできた糸は、最後の工程、撚りがかけられます。紡績つむに糸を巻きつけて、撚車にかけられて、ようやく織るための糸になるのです。一般に苧績みは一日で二匁(約七グラム)程度の糸しか作れないようで、一反で200匁の糸量が必要とされるので、一反分の苧績みだけでも、40日~100日の大変な日数を要するものでした。窪田聡氏の作詞作曲になる母さんの歌の「かあさんは、麻糸つむぐ、一日つむぐ…」の光景ですね。(続く)

Profile

田島龍太(たじまりゅうた)

明治大学政治経済学部卒業

佐賀県教育委員会文化課を経て、唐津市役所に勤務

退職後、唐津市末盧館館長兼唐津城館長に着任。(現在は退任)

「菜畑遺跡「久里双水古墳」など唐津地域の埋蔵文化財の発掘調査、曳山や建造物等多くの文化財の保存保護に従事する。

この記事はからっちゅ!2020年1月号掲載の『末盧の「もの」がたり』をWeb用に再編集したものです。