末盧の「もの」がたり

『末盧の「もの」がたり』第23話

「紅(べに)」の魅力(下)

日本人の色に対する感覚は、伝統的な色の名前の多さを見ればよく分かります。赤い色だけみても、深紅、中紅、赤紅、真朱、銀朱、猩々緋、緋、紅柄、黄丹・・・きりがありません。色は、染料の色と顔料の色があり、無論、染料は、色素材を巧みに混ぜ合わせて作り出しました。その赤の主役は、なんといってもベニバナでした。ベニバナは染料と顔料の両面を持った素材でした。

古代以来、赤い色の顔料は、硫化水銀(水銀朱)と酸化第二鉄(ベンガラ)という鉱物性顔料でした。これらの顔料は、縄文時代から生活の様々な場面で使われました。

古代人の赤色に対する思いは、血潮の色に繋がることにあると思われます。
これに、植物性顔料のベニバナが加わることになります。ベニバナは推古朝の時代、高麗僧曇徴(どんちょう)が伝えたという記録からも、時期の問題は別として、ベニバナの生産技術が大陸・朝鮮の風として伝えられたと理解されていたことは間違いないようです。ベニバナの伝播には、ユーラシア東部の遊牧民が関わっていました。

中国西北部の甘粛省(かんしゅくしょう)の祁連山(きれんざん)と焉支山(えんしざん)の扇状地帯に、かつて匈奴(きょうど)の良質のベニバナの栽培地があったといいます。匈奴は古くは「胡」と呼ばれ紀元前三世紀頃の戦国時代には、燕、趙、秦の北方に活動域を持った民族でした。この匈奴は漢に敗れて、焉支山の栽培地を失ったといいます。焉支山は燕支山(えんしざん)とも書き、ここで栽培されたベニバナは燕支花(えんしはな)ともいい、匈奴の古習に、燕支花を絞って燕脂(えんじ)を作り、顔に塗ったといいます。

このことから、ベニバナの色は燕脂色(えんじいろ)と呼ぶという説もあります。その後この習俗は中原にも伝わり、中国の敦煌(とんこう)壁画やアスターナの出土絵画には、唐代の婦人の「紅」による化粧が見て取れます。当時、四種の化粧法があったといわれ、霞粧(かしょう)(頬紅)、星靨(せいよう)(えくぼに赤い点をつける)、点唇(てんしん)(口紅)、斜紅(しゃこう)(両の頬に三日月形や、菱形の文様を描く)ものでした。(図上段) 

日本においても、飛鳥~奈良時代にはこうした習俗が異風の文化として貴族社会に普及していたようで、高松塚古墳の婦人群像や鳥毛立女屏風図の女性の化粧に見て取ることができます。『延喜式』には、ベニバナを貢納する地域が数多く記され、栽培が普及した様子がうかがえますが、これは紅の染料としての利用が主だったようです。

「紅」は「紅一匁(いちもんめ)は金一匁(いちもんめ)」というほどの高価なものであり、江戸時代には「最上紅花」と「武州紅花」が上品質とされました。前者は春蒔きで七月初旬に開花するもので、後者は秋蒔で初夏に開花することから早物として有利だったようです。

「紅花」は花を早朝に収穫して、流水で黄色色素を洗い流し、臼でついて発酵乾燥させ、平たい餅状にして出荷しました。これが花餅(はなもち)と呼ばれた製品でした。この花餅が京都に運ばれ、紅に加工されました。ベニバナの花弁に含まれた赤色色素を抽出して生成したものが江戸時代の口紅で、紅猪口(べにちょこ)の内側に塗られて販売されました。

良質の紅は、容器の内側で自然乾燥すると、赤色ではなく笹色(玉虫色)の光沢を放ちました。紅猪口の口唇部が平たいのは、使用中に伏せたときに密閉性を高めて乾燥しないように作られものだったのです。

絶世の美女といわれた小野小町にあやかった京都の紅問屋が発売した「小町紅(こまちべに)」は江戸時代のトップブランド商品として人気を呼び、この玉虫色の紅を下唇に重ね塗りし、緑色(笹色)にする化粧が流行します。

ところが、庶民には高価な紅を手に入れることは難しいことから、唇に墨を塗って、その上に紅を重ねて玉虫色に近い輝きをだす工夫をしたという話もあります。安土桃山時代~江戸時代にかけての歌舞伎の流行は、観客の庶民層の女性たちの化粧にも、大きな影響を与えました。顔を白く塗る「白化粧」、その上に頬紅を塗ったり、白粉に紅を混ぜて頬紅とし、唇に紅を塗るようにもなりました。目の縁に紅を引く目弾きも歌舞伎役者の舞台化粧から発生したものです。役者の真似をする風は何時の時代も同じですね。(図下段)

「お歯黒して半元服、眉を剃り落として本元服」という、女性は結婚を前後して歯を染め、出産を機に眉を剃るという社会通念の中で、きっと「紅」には女心をときめかし魅惑する色の力があったのでしょう。こんな話です。

Profile

田島龍太(たじまりゅうた)

明治大学政治経済学部卒業

佐賀県教育委員会文化課を経て、唐津市役所に勤務

退職後、唐津市末盧館館長兼唐津城館長に着任。(現在は退任)

「菜畑遺跡「久里双水古墳」など唐津地域の埋蔵文化財の発掘調査、曳山や建造物等多くの文化財の保存保護に従事する。

この記事はからっちゅ!2018年9月号掲載の『末盧の「もの」がたり』をWeb用に再編集したものです。