末盧の「もの」がたり

『末盧の「もの」がたり』第11話

「煮る、蒸す、炊く」の妙

稲作が初めて伝わった菜畑遺跡にある末盧館の館長をしていると、とても素朴な疑問を問われ、そして答えに躊躇します。そんなことから、発した疑問のお話です。

ある小学校の子供たちが先生に連れられて見学に来ました。最初に先生が子供たちにこう言いました。「ここはみんなが食べている白いほかほかのご飯、そのごはんになるお米が最初に作られた場所ですよ。」とても、丁寧で嬉しくなるような解説です。でも何か、気になる所がありました。さて、なぜでしょうか。

白いほかほかのご飯を、現在、私たちは食べています。でも、最初からそうだったのでしょうか。米をどう食べるか。もしくは、どのように食べたかというのは、実はとても深遠な問いだったのです。

考古学では、煮炊きする道具を煮沸具と呼びます。一方、食事の際に使う道具を食膳具と呼びます。今回の話で取り上げるのは、この煮沸具なのですが、縄文時代を通じて深鉢と呼ぶ土器がこの煮炊きに使われた容器と考えられています。新石器時代の幕開けと共に、煮炊きする道具が生まれたことから、ヒトは新たな生活のシステム段階を迎えたと言います。硬い食べ物から、軟らかい食べ物を摂取することができるようになり、ヒトの寿命が延びていくことになります。無論、そのことで顎骨の退化という、宿命も付随することになりますが、縄文時代の終わりごろには、深鉢に高さの低い、浅鉢が生まれ、続いて、弥生時代になると深鉢はかめと呼ばれるようになります。といっても、何も機能的に変化したわけではありません。考古学的な名前が変わっただけです。

つまり、縄文時代から続いていた、堅果類や一部の穀物を煮沸して、恐らく、粥状にして、その中に肉や魚を入れ込んだものが主食だったのではないかと考えられています。無論、固形のものも炭化したものが発見されていますので、粉砕して固め、蒸し焼き等の調理で食べる固形食品も作られていたとは考えられます。

煮沸の証拠というのは、深鉢に残された炭化物の内容や附着した部位で知ることが出来ます。深鉢には、おそらく、吹きこぼれたおこげや底に張り付いておこげになった炭化物が確認されます。また、火にかけられていたことを示すかの様に、深鉢の胴部には煤もこびりついています。これを見ると、火にかけられていた様子もうかがい知ることが出来るのです。こうしてみると、深鉢は、直接火にかけて食物を「煮る」道具であることがわかります。

70年代までの考古学の専門書には、煮沸具として弥生時代には、土器の底に穴をあけたこしきが存在して、こうした蒸器もあったのだと紹介されていました。ところが、その植木鉢みたいな甑の底の穴が、土器を焼成した後に開けられたものであることから、甑ではなく、違う目的の土器ではないかと指摘され、甑は古墳時代になって新たに朝鮮半島から、須恵器という焼き物と共にもたらされて普及していくものではないかと考えられるようになりました。はたして、そうなのでしょうか。

稲作の発祥地である、長江の中流域や下流域の新石器時代の遺跡からは、煮沸具として紀元前5000~3000年前の河母渡文化や馬家浜文化では釜、かなえと称される煮沸具が存在します。それが、紀元前4000~2250年前の松沢文化や良渚文化になると、鼎+甑や甗という甑が既に使われています。つまり、「煮る」ことに適したウルチだけではなく、「蒸す」ことに適したモチの利用も始まっていたことになります。こうした稲食文化が、あるものだけが抜け落ちて、伝わらなかったとは考え難いのです。

最近、こうした疑問から最初に稲作の伝わったと考えられた地域の土器を再確認してみました。すると、菜畑遺跡の弥生初頭の甕型土器に、穴をあけた甑タイプの土器があったのです。唐津平野の弥生時代前期~中期段階の甕型土器をみても、多くはないのですが、一定量の焼成後に穴の開けられた甑タイプの土器が見られることがわかってきました。つまり、主体とはならないにしても蒸すことのできる土器がやはりあったと考えるべきでしょう。しかし、西日本の稲作文化の伝播を受け入れた地域では、依然として煮る土器である甕の利用が中心で、次第に蒸す文化がなくなっていき、約三百年以上たって、再び新しい甑と竈の登場によって煮沸具は多様化していくことになっていったと理解できるようです。その後、甕から鍋と羽釜が改良して作られ、「煮る」は「炊く」へと変化していきます。現在の炊飯の形がこうして出来上がるのです。

米を食べる歴史も一筋縄では理解できないという、こんな話です。

Profile

田島龍太(たじまりゅうた)

明治大学政治経済学部卒業

佐賀県教育委員会文化課を経て、唐津市役所に勤務

退職後、唐津市末盧館館長兼唐津城館長に着任。(現在は退任)

「菜畑遺跡「久里双水古墳」など唐津地域の埋蔵文化財の発掘調査、曳山や建造物等多くの文化財の保存保護に従事する。

この記事はからっちゅ!2017年5-6月号掲載の『末盧の「もの」がたり』をWeb用に再編集したものです。