末盧の「もの」がたり

『末盧の「もの」がたり』第10話

「イヌ、人に会う」の真実

末盧館の二階の復元ジオラマの竪穴住居に、一頭のイヌがいます。小型で赤毛のイヌで、現在の柴犬のタイプのイヌです。名前は未だありません。子供の数より、イヌ等のペットの数が多いと言われる現代、日本にはイヌがいつからいたのか、イヌの歴史についてとても興味がある所です。今回は、そんな話です。

オーストラリアの有名な動物行動学者、コンラート・ローレンツには「人、犬にあう」というヒトと動物の関係を行動学の視点から見つめた論文があります。人に飼われるイヌになる過程は、様々な説がありますが、イヌ科の動物のうち、オオカミが馴化じゅんかされ、イヌとなったとされています。シベリアのツングース族にあたる人々に飼われているライカ犬は、特定の主人を持たない性格を持ち、かつ、オオカミと交雑すると半数は、人に慣れないものが出ると言います。逆に、半数は人に慣れるということになり、ヒトとの生活をおこなうことができたのであり、その証拠と見ることが出来るそうです。

人類との付き合いという点では、シリア、パルミアのドゥアラ洞窟出土のイヌで約3.5万年前のネアンデルタール人との共生が最古とされます。少なくとも、ホモサピエンスの拡散期にはすでにイヌが伴われていたと言いますから、3万年以前に関係が成立していたことになります。中国では、新石器時代の遺跡から、ブタ、ニワトリとともにイヌも出土します。最初の辞書といわれる『説文解字』は「犬は縣蹏けんきょあるもの」つまり。爪を隠しているもので、猟犬に適しているとされています。春秋・戦国時代の青銅器には猟犬の絵が描かれ、墳墓に埋葬された首輪をつけた猟犬も出土します。

日本の遺跡、特に自然遺物として骨が出土している縄文時代の貝塚では草創期~早期の愛媛の上黒岩遺跡や神奈川の夏島貝塚のものが最も古いもののようです。約9000年ぐらい前のものです。縄文時代の出土イヌの体高をみると、40cm前後と考えられ、在来日本イヌで言えば、柴犬等の小型イヌの大きさといえます。また、イヌの顔面の額段(ストップと呼ぶ)が浅く、段がつかないのも特徴とされます。

これらの縄文イヌは、血液タンパク質の多型とその遺伝子の調査から、南方から人と共に持ち込まれたのではないかと考えられるようになっています。遺跡から出土したものの多くは、丁寧に埋葬されていて、中には、人の埋葬に伴うような形で一緒に埋葬されたイヌもいます。恐らく、猟犬として狩猟に重要な役割を果たした家族の一員として、手厚く埋葬されたのではないかと考えられます。一方で、イヌの目に見えないものを感知する能力は、霊力として評価され、イヌの持つ力として考えられるようにもなり、例えば、江戸時代になると、「犬型土製品」の話で触れたように、イヌに籠められる人の願いが民俗的な事例として様々な信仰をも生み出していきます。

菜畑遺跡では、哺乳類の報告の中で、縄文時代晩期に1、弥生時代前期に2、中期に2、不明1の6点のイヌの骨が確認されています。

最近の調査では、壱岐の原の辻遺跡や佐賀の吉野ケ里遺跡の環濠からも、廃棄されたイヌの骨が大量に出土し、その骨に解体痕跡があることが指摘されています。大阪の亀井遺跡から出土したイヌを復元して確認すると、ストップがやや深い、体高もやや大きい種類のイヌであったことがわかりました。弥生時代の成立に関わる渡来系の新モンゴロイドの侵入と共に、朝鮮半島を経由して新しい種類のイヌが持ち込まれたのではないかと考えられています。中国・朝鮮半島には、広く犬食が普及していたと考えられ、現在も東アジア、東南アジア、オセアニア等の地域にその文化が残っています。中国の古代の有名な「こう死して、走狗そうく煮らる・・」や南の楚・越の記録にイヌを食用にすることが多いのも、稲作文化との結びつきとも指摘されるものです。

しかし、この新しいイヌたちも、次第に、縄文イヌの中に埋没してしまい、今の在来日本犬になっていったのではないかとされています。その後、室町時代末の南蛮人の渡来や明治維新以後の海外文化の流入とともに、更に新しい洋種犬の到来とともに、現在に至ったと言われます。

ただ、イヌ食の文化は、仏教伝来に伴う、肉食の禁止令によって、建前としてのイヌ食は禁忌されます。しかし、中世期以降も根強くあり、他の牛馬とともにイヌも食べられ続けたようです。

現在、日本には、6種の在来日本犬に指定されているイヌたちがいます。北海道犬、秋田犬、甲斐犬、柴犬、紀州犬、四国犬がそれに当たります。秋田犬は大型、柴犬は小型で他はすべて中型犬で、体高50cm前後です。狩猟犬としてシカ、イノシシ、カモシカやクマ猟に大きな役割を果たし、俊敏で賢く、勇敢で、かつ、主人に従順な素晴らしい特質を備えたイヌたちです。活躍の場を無くしたイヌたちの将来はどこにあるのでしょうか。

そんなことも心配になる、こんなイヌの話です。

Profile

田島龍太(たじまりゅうた)

明治大学政治経済学部卒業

佐賀県教育委員会文化課を経て、唐津市役所に勤務

退職後、唐津市末盧館館長兼唐津城館長に着任。(現在は退任)

「菜畑遺跡「久里双水古墳」など唐津地域の埋蔵文化財の発掘調査、曳山や建造物等多くの文化財の保存保護に従事する。

この記事はからっちゅ!2017年3-4月号掲載の『末盧の「もの」がたり』をWeb用に再編集したものです。