末盧の「もの」がたり

『末盧の「もの」がたり』第5話

「アワビオコシ」で鮑を獲る

弥生時代のこの地方の特徴ある遺物をあげるとすれば、この「アワビオコシ」と呼ぶ道具が思い当たります。動物の骨格、特にクジラの骨やシカの角を利用したこの道具は遺跡で出土した当時、どんな目的に使われる物かはわかりませんでした。今回はこの話です。

ヒトの道具は不思議とどこで作られようがよく似ています。これはヒト科ヒトのサイズにあまり差がないということにも起因しているのではないかと思います。童話や神話の世界はいざ知らず、巨人もドワーフも空想の個体です。例えば、長さは指、手のひら、ひじ、肩、そして広げた腕の幅というように、自分の体を使って決められていました。すんしゃくひろという尺度がそれです。これを身体尺といいますが、洋の東西を問わず同じ発想でした。

有名なレオナルド・ダ・ヴィンチの「ウィトルウィウス的人体図」もそうした思想のもとに書かれた寸法のモデルです。もう一つの道具の形の決定要因は、機能です。機能、つまり、使う目的が同じものであれば、同じような道具が同時並行的に、または、異なる時代空間を越えて存在するということなのです。才槌さいづちはどこでも才槌形さいづちがたなのです。ごく、自然なことです。

さて、弥生時代の話です。

貝塚や保存状態の良い場所から発見される骨格製品の中に、クジラの骨と考えられる棒状やへら状製品が存在することは、早くから知られていました。発見される地域は対馬、壱岐、北部九州沿岸部が中心であり、玄界灘沿岸の地域全体に集中していました。このことにいち早く気が付き、倭の水人との関係、特に、末盧国の記載にある

「海の深浅となく、水没して漁鰒をとらう」

という記述に結び付けて、「へら状骨製品」、もしくは「骨剣」と呼ばれるものが、アワビを採取する道具、「アワビオコシ」ではないかと指摘したのは九州大学の岡崎敬教授でした。

アワビオコシと潜水習俗の想像図

海に潜って岩場に張り付いている腹足類を捕える、つまり、岩から剥ぎ取るには確かに素手ではうまくいきません。へら状の道具をテコの要領で動かして効率よく採取捕獲する。まことにうまく考えたものです。しかも、原始時代の人々は道具作りの素材選びには熟練した職人の目を持っていました。長い経験則の上に積み上げられた知識として、硬く強靭なものや部位、柔らかく弾力に富むものや部位を的確に使い分けて道具に利用したのです。こうした、素材の選択性によってくじらの骨、特に肋骨を加工したへら状鯨骨製品をアワビオコシとして水人たちは利用したと岡崎氏は考察したのです。また、その特徴として、大きさに大小があり、幅3.0cm〜4.0cm、長さ27cm〜40cmで、長袖にそって弱く湾曲すると指摘しました。各遺跡から出土する「へら状骨製品」はほぼこの規格にあてはまるものでしたが、小川島貝塚から出土したものは、長さが12.7cmと少し小ぶりなもので、こうしたものも湊の雲透遺跡などからも確認され、存在することがわかってきました。また採取捕獲の事実も、小川島貝塚の大量のアワビ集積遺構や雲透遺跡の貝塚資料からも、実証されました。倭人伝の記載は、「潜水漁撈せんすいぎょろう」の事実を忠実に描写していたのです。

玄界灘沿岸部の潜水漁撈の習俗は、後に律令国家の租税の調として延喜式に記載される松浦郡の産物「鮑」となっていくものと考えられます。ひるがえって、江戸時代、この地方の特産品となる俵物の干し鮑生産、そのことを示す「肥前国産物図」の海女の描写は、連綿とした潜水漁撈習俗の継承を示しています。面白いことに、民俗資料に残るアワビ採りの道具は「アワビオコシ」、「イソガネ」等と呼称され、素材は鉄へ、そしてステンレスへと変化しつつも、小型、中型、大型と3種類があり利用形態でうまく使い分けられています。それに、長軸に沿って身が微妙に「く」の時に折れているところは、弥生時代の鯨骨製アワビオコシのままであり、機能がもたらした道具の在り様を雄弁に語っているかのようです。

こんな話です。

Profile

田島龍太(たじまりゅうた)

明治大学政治経済学部卒業

佐賀県教育委員会文化課を経て、唐津市役所に勤務

退職後、唐津市末盧館館長兼唐津城館長に着任。(現在は退任)

「菜畑遺跡「久里双水古墳」など唐津地域の埋蔵文化財の発掘調査、曳山や建造物等多くの文化財の保存保護に従事する。

この記事はからっちゅ!2016年9月号掲載の『末盧の「もの」がたり』をWeb用に再編集したものです。